陳腐にならないことについて - Fuwafuwa's memorandum

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陳腐にならないことについて

積ん読していた『イェルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』を読み始めた。アーレントの著作はとにかく難解であることで有名だが意外にもスラスラと読める。構成も分かりやすく、1章ごとがコンパクトにまとめられている。ただし中身は人名や地名・歴史的事実等の背景知識がないと読み解けないような比喩の嵐なので、そういう意味では読みにくい。基本的にはあの地獄の世紀を生き延びた人に向けた本なので、21世紀の我々が読もうと思うと多少の準備運動が必要と言える。

第3章ユダヤ人問題専門家には次の有名な一説が。
“彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が考える能力ーーつまり誰か他の人の立場に立って考える能力ーーの不足と密接に結びついていることがますます明白になって来る。”

こうした言語と共感性を結びつけるようなやり方(実際に両者にはなんらかの結びつきがあると私も思う)が後に『人間の条件』における人間らしくあること、対話すること、共感することの議論に繋がっていったのだなあと今更気がつく。

アーレントはアイヒマンをして凡庸であり陳腐であるとするが、この記録を読む限り世の中の大半の人は(これを書く私もまた)アイヒマンよりよほど凡庸であり陳腐であるように思える。アイヒマンは凡庸だったかもしれないがその凡庸さは凡庸さの中でもかなりマシなものだったことには違いない。

少女時代からドイツ語のみならずフランス語やギリシャ語に精通し(しかも読んでいたのは詩であり、後の著作でも古代ギリシャの情景が度々ロマンチックに語られる)亡命後には英語を修得し、それらを流暢に操っていたアーレントからすれば世の中のほとんどの人は赤子のようなものではないか(彼女の著作の難解さはマルチリンガルであることに起因しているのではないかとすら思える)。

そのように考えるとき、「人間的であること」はほとんど超人による特権なのではないかと、私のような者は思わずにいられないのだ。

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