大学で社会学を学ぶということ - Hibari's memorandum

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大学で社会学を学ぶということ

大学で社会学を学ぶということについてたまに考えることがあるので書いてみようと思います。

私は大学では社会学というものをやっていました。社会学をやって何になるのかと聞かれたら、それは本来とても哲学的なテーマなのですが、きっとそんな質問をしてくる人はそのような解答を欲していないと思うので、代わりにこう答えると思います。「未来に何が起こるのかを予測できる、予測できるとそれに備えることができる」

未来に何が起こるのかを知る方法はきっと私が知る以上にたくさんあると思います。けれど私が今からここに書く方法は多分、優れて精度が高く、そしてとても簡単な方法です。

まず国の人口動態を書いてみてください。そしてそれを15年ごとに分けてください。どの世代が最も多いのかを見てください。その層がこの国の、今現在の世論を支配する層です。人口動態というものは非常に予測しやすいものの一つです。現在の出産可能年齢人口と出生率を見れば、15年後の人口動態を容易に予測することができます。15年後の人口動態予測で、どこの層が最も多いかを見てください。それが、15年後の世論を支配する層です。

世論を知りたければ人口動態における支配層を知ることです。世代によってリアリティはまるで違います。彼らがどんな社会情勢、経済状況、制度、常識、政治の元で生まれ育ったのかを知ることです。そうすれば世論が傾く先が分かるはずです。世論が傾く先がわかれば、今当たり前のようにある常識が15年度にはまるで変わっているだろうということが予測できると思います。

人口動態の変化は社会構造を変え、制度や常識も変えます。なぜなら社会構造というのは根本的に人口動態に依存しているからです。具体的な例を挙げると、人口動態の観点から、15年前にはあり得なかった女性の社会進出や働き方改革がなぜ”今”起こっているのかが分かりますね。増え続ける高齢者と減少する人口の辻褄を合わせるには労働力を増やすしかなく、移民に消極的な日本では女性がそこを埋めるしかないからです。また、男性の無制限の献身によって支えられてきた日本の企業は、被雇用者の働き方そのものを変えなければそれに対応することができないからです。

経済の資源は、土地、金融、労働の三つがあると言います。その内土地は基本的には不動のものです。金融はあまりに流動性が高いので予測が困難です。労働というのは、人間の労働力のことですが、これはほぼ生産年齢人口で近似することができます。そして彼らは労働の主役であるだけでなく、同時に消費の主役でもあります。

ものの価格は需要と供給で決定すると言います。生産年齢人口が分かれば、今後10年でどの業界が必要とされ、あるいは衰退していくかがわかるはずです。もちろん諸兄におかれてはすぐさま幾十もの反例が思い浮かんだこととと思います。需要と供給とものの価格が一致しないことは頻繁にあります。それぞれ複雑な理由がありますが、ここではひとまず、需給とものの価格が一致しない場所には構造的な問題が潜んでいるとアタリがつけられるだけでまずまずと言えるでしょう。アタリがついたら問題を探せばいい、随分課題が簡単になりますね。

わざわざ「社会学をやって何になるの?」と聞くような学生さんがもしおられたら、その人はきっと同世代並みにこの国の時勢に敏感であり、また、生真面目で、そしてとても不安な人なのだと思います。そうした人にとってはきっと抽象的な価値観や哲学的な解答よりも、自分のすぐ目の前に存在している問題へ対抗するための武器こそが重要なのだと思います。だから私はここでは就活の話をしようと思います。

ものの価格は需給で決まると前述しました。それは労働市場にも当てはめられます。従って手っ取り早くお給料が欲しいのであれば、需要が大きく供給が少ない所に行くべきです。巷には企業別の平均年収の情報が溢れていますが、すでに人口動態の論理を知っている人々はそれがほとんどなんの保証にもならないことに気がついていると思います。

年功序列の日系大企業で人口の多いベビーブーマー達が企業の要職に就き続ける限り、その下の世代には、給料を上げるどころか役職に就くことすら非常に困難な道のりです。更に、年金システムが平均寿命に従って伸びてきたことや、今や平均寿命が伸び続けていることを知っている人は、尚更困難であることを知っていると思います。

とは言え私は日系大企業を批判したいわけではありません。ものごとはいいことばかりではありませんが、悪いことづくめというわけでもありません。大切なのは、仕組みを知り、予測し、そしてそれに備えることです。今ある現象の構造さえ分かっていれば、第三者的には不利に見える選択を”あえて”とり、それを逆手にとることもできるはずです。

その業界は成長中なのかこれから衰退するのか、競合の規模感はどのくらいか、会社内の人口動態はどうなっているか、労働市場の流動性はどうか、社会において誰が労働し、誰が消費するのか、国際情勢はどうか、法制度は整備されているか、日本には(海外でもいいですが)どんな資源があるか、それを支配するのは誰か、世論なのか制度なのか組合なのか、どんな技術があるのか、それらを総合的に見れば自分が今後10年で何をすべきなのかは自ずとわかるはずです。

話に具体性を持たせたいので、私が就職した時のことを書こうと思います。私がITエンジニアになったのは、たまたま今の先輩に声をかけていただいたからですが、これも何の備えもなくそうなったことではありません。

当時は『統計学が最強の学問』という書籍に代表されるように、空前の統計学ブームでした。私は研究で必要だったため多少統計学の素養がありました。けれど私は同時にこの統計学ブームは5年も持たない(あるいはあっという間に過当競争化し弱者は排除される)だろうと思いました。

何故なら技術の世界を見れば明らかに、「ビックデータと統計学による予測」ではなく、「計算機を用いたビックデータのリアルタイムでの高速処理」に移行しつつあったからです。そこで必要とされるのは最早「予測」ではなく、ひたすら大量のデータを高速に機械が自動処理し続けることです。そのため私は当時、統計学だけでなく機械学習の勉強を自ずと始めました。私は今IT企業でデータ解析エンジニアをやっています。

このエピソードでもう一つ重要なポイントを付け加えると、会社側が欲しがったのは機械学習の(自学自習で身についた少々の)スキルではなく、むしろ統計学の素養と社会調査の実践経験でした。私が今勤める企業は、大学院生当時の私が5年後に台頭するであろうと予測した、そして今現在の日本で熱狂の最中にある、ビッグデータと計算機による高速処理を得意とするIT企業です。今やこの種のスキルを持つITエンジニアの価格は高騰していますが(希少性の論理)、この企業ではむしろ、卑小な表現を借りれば、謂わば、文系的な素養を持つ人間がいなかったため、そのような人材を雇用する気になったという事です(逆張りの論理)。

つまり、一見時代の潮流や人々の嗜好から外れたものであっても、まさしくその中で、そうした異質な存在が必要とされることもまたあるということです。ですので、マクロで見て必要だから絶対にこれをしなければならないということはなく、それがなんであれ、例え始まりは偶然であっても、自信を持って目の前のことに真面目に取り組み続けるのが何よりも今なすべきことであるということが私は書きたかったのです。

重要なのは物事の構造を見ること、そして予測し、それに備えることです。そうした先に「お金持ちになれるのか?」「仕事で自己実現できるのか?」「幸福な家庭が築けるのか?」と更に問う人もいるかも知れません。それは私にはとても難しい問いです。そして率直に言ってその問にも解にも興味がありません。

ただ一つ言えるのは、目の前の物事の構造を見ることさえできれば、世の中には物語的で一面的な幸福や自己実現などというものは存在せず、一体いかなる人生が自身にとって足るものなのかが理解できるようになるだろうということです。

それを人は「地に足がつく」と表現するのだと私は思います。それはそれ自体で幸福を保証することではありません。自分の人生に納得し、責任を持って挑むことができるという意味です。

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