雨の降る日 - Fuwafuwa's memorandum

Fuwafuwa's memorandum

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雨の降る日

日出ずる国が太平洋における共和圏を興す企てに敗れたのは今よりそう遠くない過去のある夏の暮れだった。人々はラジオの前に平伏し静かに荘厳なるお言葉に耳を傾けていたが、それが海を隔てた我が国よりはるかに巨大な大陸への降伏を意味することだと理解した時、あまりのことに茫然自失とし、理不尽に怒り、悲しみ、ある者はそのまま家の梁で首をくくったそうである。

その時私は中学二年生でありとある地方に疎開していた。放送の直後は人々は混乱の最中にあり先の見えない心細さに暗澹たる面持ちで鬱々と日々を耐え忍んだ。いよいよ私の住む街にも占領軍が降り立った時、人々の混乱は頂点に達し、ほんの少しの荷物を抱えて誰もが逃げ出した。

占領軍は私たちに食べ物を配給し、毛布や衣類を与え、公共の道路や設備を修理、補正し、衛生管理した。占領軍の用意した食べ物はすべて今まで口にしたことがないほどに上手く、衣類は柔らかで暖かく、街並みは瞬く間に整備され、病や飢餓で苦しみ死ぬ人は少なくなった。人々は占領軍の指揮者であった少佐を親しみを込めて呼び、神棚に据えられた天皇の写真は少佐の写真にすげ代わり、飢えた子供達はかつての鬼畜軍兵を昼夜追うようになり、若く魅力的な女たちは自ら進んで自分の身体を売買した。

最初の青い瞳の子供達が自らの足で歩くことができるようになる頃、私は第三高等学校へと進学した。そこでは全国から取り分け優秀な若者のみが集められていたが、かと言って皆が一日中机にかじりついているという風でもなく、授業をふけて街へ遊びにいったり、図書館にこもって2000頁もある哲学の本を読みふけったり、皆思い思いに過ごしていた。そして誰もが、このかつての燃えるような闘志と夢を失ってしまった国を自らが率いるのであるという強い義務感に駆られていた。

そこで私が出会ったとびきり優秀な人たちの一人がN先生であった。N先生は若くして医学科の教官であり、すでに何本かの論文が学界で評価されているほどの美丈夫であった。N先生には同じくらい優秀な兄がいたそうだが戦死してしまっていた。実家は大空襲で燃え、一人残されたN先生はそれでも腐らず、指導教官の実験に参加し、着実に研究を取り組むことによって、その実績が認められ今や医学界の若き星となった。

N先生の妻はかつての指導教官の子供で、これもまた大層美しい人だった。婚姻を結んだ翌年には娘を産んだ。一点の曇りもないようなN先生だったが一点だけ黒い噂があった。かつてこの国が世界を敵にして戦争に身を投じていた時、N先生とその指導教官は軍のある秘密の部隊と協力関係にあり、そこでは捕虜や政治犯をつかって日常的に人体実験が行われていた。N先生の研究業績はあまたの罪なき人の犠牲の上にあるのだという。

学校の七不思議よりも退屈な取るに足らない噂であった。そのような残虐非道な行いがあったなら、何故ああも堂々と研究成果として平然と掲げられるだろうか。いわんや第三高等学校の学生であるならば、あまりにもバカらしく大笑いして付すところであるが、私はなんだか腹が立って仕方がなく、その噂を口にした同級生を怒鳴りつけて、教官棟へ向かって廊下を足でドカドカと踏み鳴らした。

N先生の教官室へと入ると、先生はいつものように、決して優美とは言えないが清潔な窓辺で分厚い本を扇状に広げていた。やたらと立腹している私を見た先生は、動じた風もなくいつものように巨大な医学書を広げて見せて、その色鮮やかに拡大された諸々の内腑を指差して、どうだい私たちの生命の営みはとても美しいだろうといって優しく微笑んだ。私はまごついて、先生は人を殺さざるを得ないことがありましたか、と聞いた。

その瞬間N先生は時が止まったようになり、震える手で医学書を閉じて、その後ボロボロと号泣した。そして、神だけがそれを知り、そして私を裁くだろうと言って、それきり押し黙ってしまった。先生!私の敬愛するN先生が罪なき人であると信じるにはそれだけで充分だった。かのように美しく細い心の持ち主が、罪なく人を嬲り殺せるものであろうか。

N先生がおかしくなっていってしまったのは、黒い瞳が愛らしかった娘が病で亡くなってからであり、同じ病で妻もなくしてから、遅刻と無断欠勤が増え、ついには家から一歩も出てこなくなってしまった。私は心配で何度もNの家の門を叩いた。N先生はたまに姿を現しては、訳の分からぬことを言ってすぐに家の中にひっこんでしまった。

いよいよ先生の解雇が決定した時、私はかつてのあの煌めくN先生に戻ってくれと泣いて懇願した。N先生は髪も髭も伸び放題で、異臭を放ち、かつての精悍さは失われていた。早く正気になってくれと言うと、N先生はこう言った。

「私は狂った世界で自分だけは狂うまいと強い心を持って抗ってきたが、何のことはない。私はあの時すでに狂っていたし、君も狂った世界の住人だ。今はただ私だけが真実を知る」

N先生はそれきり何度門を叩いても家から出てこなかった。その夜、私はどうしても眠れず、着物一枚で月明かりを頼りに書庫に向かっていた。雲はないのに、しくしくと鬱陶しい雨が降っている嫌な夜だった。ぼんやりと時計台を見ていると、その屋上でどうにも人影が揺れている。慌てて駆け寄ると果たしてそれはN先生であった。不思議なことに私にはその時、穏やかで美しく精悍だったN先生の姿が闇の中で見えた。N先生は私を認めると叫んだ。

「そこでただ震え慄き立ちすくむ諸君!受け取れ、これが私の君たちへのはなむけだ」

叫ぶや否やN先生は時計台から身を投げた。私は慄いてぎゅっと目を瞑り時が過ぎるのをただ待った。そっと目を開けると、もうそこには誰もおらず、時計台の上にも下にN先生の姿はなかった。その翌日、N先生の家を訪ねると、そこはもぬけの殻だった。誰もN先生がどうなったのか、どこに行ったのかを知らなかった。

ずいぶん後に知ったことだが、N先生の妻と娘は、いずれもN先生が戦時中に臨床実験を行っていた病で亡くなっていた。N先生はその病気について、複数の論文を遺し、学界でいくつも重要な仕事をした後、しかし妻と娘を救うことはできず、突如として学界から消えた。

行方は杳として知れない。

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