加藤文元『物語 数学の歴史:正しさへの挑戦』 - Fuwafuwa's memorandum

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加藤文元『物語 数学の歴史:正しさへの挑戦』

物語 数学の歴史―正しさへの挑戦 (中公新書)物語 数学の歴史―正しさへの挑戦 (中公新書)
加藤 文元

中央公論新社 2009-06-01
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現代も科学系の学部で教えられる標準的な方法論の一つである実験計画法を体系化したことで有名なフィッシャーは、生まれつきの弱視で子供の頃から専門の家庭教師を付けざるを得なかった。目が見えず闇の中で数学するしかなかったフィッシャーは後年優れた幾何を用いて問題を解いたというが、それはあまりにも高度であったため常人にはとても理解することができない程であったという。

天才として名高いフィッシャーのこの魅力的なエピソードには次の二つの重要な含意が認められる。一つには著しいハンディキャップを持つ人間が常人にはない才能を開花させそれを補うことがあるということ、もう一つには――私がここで問題としたいのはこちらだが――しばしばある種夢想的なまでに普遍のものとして見なされる数学というものが、実は根本的に人間の認知の制約の基に成立しているということである。

『物語 数学の歴史:正しさへの挑戦』の著者である加藤文元は京都大学理学部の准教授ということだが、私はこの人のかつての教え子と話したことがある。彼がいうところにはこの本の著者は「数学に飽きた人」だという。数学をせずに数学の歴史の研究を始めたからだ。果たして本書はどうだろうか。取り敢えずページをめくってほしい。

加藤によると古代エジプトでは毎年ナイル川が氾濫するものだから川岸区画の測量技術が発達し、それ故に幾何的知識が後世に託されたという。他方でバビロニアでは数学とは数の計算に重点があった。何故なら数学のための媒介となったのはバビロニアの場合粘土板であり、粘土板は図形を描くのには不向きだったからだ。実に明瞭だ。

この美しい議論がどこまで真なるものであるかはここではそれほど深い関心にはない。重要なのは、数学することには目的があり、制約があるということであって、その技術と様式は必ずしもピタゴラス教団的な神秘主義とは相容れないということである。件の彼がもう少し数学に対してメタ的な立場を取ることに理解があれば、少なくとも前述のような発言はしなかったのではないかと思う。

数学することを世界の真理を紐解くかのような、この世界に隠された真実を暴くことであるかのような言説は、現代でも頻繁に見受けられるが、これらは充分神秘主義的であると私は思う。何せ人間が、人間の認知に基づいて、人間の都合で語り継いできたものである。宇宙人はきっと数学を理解しない。

フィッシャーの用いた幾何は常人にはあまりにも高等すぎたという。非常に優れた業績をいくつも残し、それはおよそ100年が経過した今でも大学の講義で受けることができる。これがそれだけでいかに人間の冒険心をくすぐる事柄であるか、私はこれ以上の説明の必要性を感じない。

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