身体を鍛えることと勉強することについて - Fuwafuwa's memorandum

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身体を鍛えることと勉強することについて

就職してからのこの数年フィットネスジムやボルダリングジムで週1,2回実直に鍛え続けてきた結果、マッスルには程遠いが目で見てわかる程度には腕や脚に筋肉がついている。先頃「長期休暇はなにをしてたんですか?」と聞かれたので「筋トレと勉強とプログラミング」と答えたら「休みにまでなんでそんなことをするんですか?」とさらに聞かれた。なぜかというのは私も考えたことがなかったのでその問いに驚いて、咄嗟に「私は私が如何に弱く愚かな存在であるかを確かめたいのだ」というようなことを口走り、その自分の答えにまた驚いた。

私は私が答えたことの意味を考えていたが、それはあながち間違えでもないのかも知れない。自分の身体と向き合わなければどんなに鍛えても拳銃には勝てないと実感はできないし能動的に未知のものを探しに行かなければ自分は世界の何もかもを知っているかのように簡単に錯覚する。できることを増やすということは忍耐強く自分にはできないことと向き合うことそのもの。まいにち夜が来るたびになぞった自分の輪郭に大変深く失望するが、自由というのはその積み重ねにしかないのだろうとも思うし、その先に見える風景がどんなに満ち足りたものであるかも私は知っているので怖くはない。

他人の用意した物差しで自分を測定するというのは案外孤独を埋めるには都合が良いが、その内比較の泥沼に陥るであろうということも容易に想像がつく。しかし自分の人生を自分で決めるとか自分のやりたいことをするというのは多分そんなに簡単ではない。少なくとも私は自分が何をやりたいかなんて今までの人生でわかった試しがない。自分が本当は何をやりたいかということについて自覚的になれる瞬間があるとすればそれは僥倖である。自覚するためには自分の身体とそれを取り巻く物事について知らなければならない。それを毎日続けてふとした拍子に過去よりもできることが増えたと気づくことがあればそれがささやかなよろこびというものであろう。

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