濱口桂一郎『働く女子の運命』 - Fuwafuwa's memorandum

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濱口桂一郎『働く女子の運命』

働く女子の運命 ((文春新書))働く女子の運命 ((文春新書))
濱口 桂一郎

文藝春秋 2015-12-18
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物事を「点」と捉えて論じようとする人があまりにも多いので。

「日本人は言葉の壁があるから外国の労働者に仕事を奪われずに済んでいる」という議論がありますが、私はこれは企業にも当てはまっており「日本には言葉の壁があるから企業は外国に労働者を奪われずに済んでいる」側面があると考えています。日本企業は国内で雇用の慣習に関するコンセンサスさえあれば、外国企業に労働力を奪われる心配をしなくて良いのです。

極めて重要な点としては、日本には長い間そもそも労働における「生存権」の考え方自体がなく、労働時間や居住は問題化されることがあったとしても、せいぜい「残業代」や「手当」といった基本給に対する給与の上乗せしか焦点が当てられてこなかったということです。

しかしながら労働による拘束は人間の生存に関わる問題です。EUでは週47時間以上の残業は規制されています。それは労働者の私生活や存在を脅かすものだからです。翻って日本はどうか。週40時間からの残業は手当を上乗せするように規制されています。ここに労働者の健康や生活に対しての配慮はありません。

モーレツサラリーマンは生活をすべて仕事に捧げ、残業も休日出勤も当たり前、慣習化され意図など無きに等しい職務の異動、地方あるいは海外への転勤も呑むことが要求されます。労働時間の限定のような規定はあれど、36協定のような抜け道が用意され、社員は無制限に働くことが良しとされます。

そのような状況ですので、当然ながら自分一人で家事や育児や介護のような私生活が成立するわけがありません。なぜそれが維持できたかというと女性が家庭内の再生産を担っていたからであり、日本では男女が分業することにより、個としてではなく家族という単位で経済活動を維持してきました。そのため女性は軽作業に従事し、早期での退職が望まれます。

1980年代には国連や欧州議会からのプレッシャーもあり日本は女性の雇用を改善させる法案を制定しますが、企業側はこれに「総合職/一般職」といった、世にも珍奇な区分を持ち出すことでこれに応えています。この区分は新卒入社の時点でのライフコースの選択を迫るものであり、結局はそれまでの女性を低賃金で雇用する慣習が「一般職」というラベルに変わっただけでもあります。また、このような区分は「総合職」に対して、前述のような「生存権」が侵害されるような働き方を強制させる大義名分としても作用していきます。

その後この「一般職」の主な職務と見なされる事務作業の低賃金が問題化されていきますが、それは女性の地位向上というよりは寧ろ、それらの軽作業が非正規化し、非正規雇用の男性が増加したことが社会問題化したからという側面が強いようです。

更に、深刻な少子化、労働力の低下、高齢者の増加に伴って、「女性も男性のように働く」ことが要求されるようになってきましたが、これは「従来の男性の働き方」にそのまま女性を押し込めようとするものでもありました。このような労働は家庭内の再生産の担い手が別に存在することを前提としたものですから、勿論これが機能するわけがありません。日本は「家庭」ではなく「個」として経済活動を維持するための仕組みが必要とされているのです。

「構造」としての問題が安易に「個人」としての問題に挿げ替えられ、産休・育休制度の瓦解が何故か「産む女性/産まない女性の対立」のような根本的に頓珍漢な議論が横行した(議論すべきは性別関係なく働きながら私生活を維持できるような環境づくり)後、反省的に提示されたのが「働き方改革」です。

冒頭に返りますが、「個」が経済生産を担いつつ家庭内再生産を維持するためには、性別や年齢問わず、労働に上限が設けられなければならず、労働を生存よりも優先するというのであれば、それはそもそも本末転倒であると言えるでしょう。

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