阿部謹也『物語 ドイツの歴史: ドイツ的とは何か』 - Fuwafuwa's memorandum

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阿部謹也『物語 ドイツの歴史: ドイツ的とは何か』

物語 ドイツの歴史 ドイツ的とは何か (中公新書)物語 ドイツの歴史 ドイツ的とは何か (中公新書)
阿部謹也

中央公論新社 1998-05-25
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最近妙に歴史の本を読みたくなってきたので、手始めに中公新書の物語ドイツの歴史を読んでみた。中世からのドイツの歴史のをたった一冊にまとめているだけあって、ひとつのコンセプトごとの詳解が空疎になりがちであり、事実の列挙的な記載も多いので世界史に疎い人間には読んでいてつらい箇所も多かった(読んでもよくわからない…)。

ところでドイツと言えばご承知の通り近代的統計学の研究と実践にいち早く国家的に取り組んだ国であり、それは取り分け領邦議会をその名前の由来とするカメラリスム、すなわち官房学において優れた功績を遺した。後にこれは社会統計学と呼ばれ、特に戦後のアメリカにおいてロビー活動及びプロモーション戦略等に取り入れられ現代まで脈々と発展してきた、記述統計、社会調査、標本採取の源泉となるものである。

ドイツの歴史はその黎明期から国家としての分断を運命付けられていたと見なせるかも知れない。そもそもがヨーロッパのど真ん中に位置し、かといってヨーロッパ全土を掌握するには小さすぎ、無視をするには存在感の強すぎるという絶妙な大きさである。クニの起こりが極めて複雑怪奇であり、カール大帝の下フランク王国という枠組みだけはあったものの、その実優に300を超える領邦がその国土に複雑に入り組んでおり、それぞれの組織はほぼ自立し互いに支配-被支配を許さないような関係にあった。

ひとつの国家でありながら国家とは呼べないような状態にあった。国土にありとあらゆる民族・人種・宗教・言語・文化が入り乱れ、それぞれがそれぞれのアイデンティティを持ち、ドイツというたったひとつのシンボルに自己を投影することは不可能といった状態のドイツにとって、国民皆が一丸となれるようなドイツ帝国を作るということは悲願だったに違いない。

他ならぬドイツにおいてルターという一信徒が宗教改革の引き金となったことはあながち偶然とは結論づけ難い。特に一神教においてそれらは民衆の統治と極めて密接な関係にあったが、ドイツにおいては一体何を国教とするのかの決定すらつけ難い状態にあった。古来のゲルマンの信仰を異教として迫害(ドイツは魔女狩りの中心的な舞台でもある)し、他方でユダヤ人だけはキリストに連なるものとして保護されたが、高利貸しのような下層の職業で利益を上げたユダヤ教徒は嫉妬と排除の対象となり各地では度々ポグロムが起こった。

特に三十年戦争における損害は凄まじく、雇われ兵士のゴロツキがあらゆる村や教会で略奪の限りを尽くし、人口は大幅に減少し、戦争が終わる頃には一日馬を走らせても人一人にも出会えないような惨状であったという。国土といってもどこまでが国土となのかもいささか不明瞭であり、戦争で略奪され続けた人々は非常に貧しく、それかそもそも人が住んでいない。その上四方から常に大国による侵略の恐怖が迫っていた。

17世紀ドイツのこうした状況において前述のカメラリスムが称揚されたのは、単に国土を測定し国民を数え一体どれだけの富が存在するかをただ確認するための技術では恐らくはなかっただろう。それは文化と言語が入り乱れ壊滅的なまでに破壊された国土において、ドイツ的なものを希求する作業でもあった(ドイツにおける大学派統計学が長らくイギリスの政治算術的な予測や推定を嫌ったことは有名である。そこにおいてなによりも大事なのは事実の記述とその様式であった)。

(余談であるが、人口を記述する際に性別や人種よりも職業の分類を優先したのは、ドイツにおける初期統計のみであることが知られている。これは古ゲルマンからキリスト教へ移行する際に、ゲルマン的な職業が迫害されていたことと恐らく関係している。彼らは中世から近世に至るまで、ギルドやツンフトにおいて強烈な排除の対象だったのである)

それでもなおヨーロッパにおける一大国であることに変わりはなかったが、イギリスの産業革命の猛々しい発展には大幅に遅れをとり、かといってフランスのパリのような豪華絢爛で煌びやか文化もなく、学問の場においてもその歩みはいささか遅れていた。ひっきりなしに国民が移民として国外に流出していくので、労働環境の大幅な改善を行うことによってやっと経済が安定するようになった。

こうした社会保障、労働者の生存権、公共の福祉の考え方はヒットラーにも受け継がれている。彼こそが第一次世界大戦後の失業率の大幅な改善に貢献した人物であり、健康を称揚し弱者の福祉を訴えた人物である!同時に彼はユダヤ人を「不潔なもの」として迫害の対象にした。ナチスのホロコーストとは政治的には衛生の問題として始まっているのである…。アーリア人/ユダヤ人といったシンプルな対比は、第一次世界大戦後のハイパーインフレに苦しむ民衆にとって、分かりやすく国家的なものであり、自尊心を支えるには非常に勝手の良い舞台装置であったのかも知れない。

第二次世界大戦が終結してもドイツは東と西に分断されていた。ベルリンの壁が破壊されてなお、東と西ではそのルーツをそれぞれ全く異なるものに見出している。しかし西側的な資本主義と同様、東的な社会主義もまた西欧的なものから発している。このように考えると、しばしば多様性に溢れ社会保障の厚いと言われるドイツが、寧ろ不可抗力的にそのような体制にならざるを得なかったことが見えてくる。ドイツ的であることを希求するのであれば多様性を認めなければならない。戦後のドイツは幾度となくヨーロッパ統一の旗振り役を担ってきた。

参考
統計学史統計学史
小杉 肇

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