噂の研究、Post-truth、信頼に値しない世界について - Fuwafuwa's memorandum

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噂の研究、Post-truth、信頼に値しない世界について

人は目の前のものをあるがままに見てあるがままに聴くことはできない。また、見て聴いたものを、そのままに描いたり話したりすることもできない。人間が情報を入力し、そして出力するまでに、目の前のものは何重にも歪められる。それが幾人かを経る内には別物に変化してしまう。

はじめに上記のような現象を実験空間で再現したのはアメリカで噂の研究に従事したAllportとPostmanだが、その着想は戦前から現代まで脈々と続く法廷における証言の信頼性に関わる心理学研究から得ている。事故や事件の第一の目撃者の証言は非常に信頼性が高いとして、それを伝聞として聴いた、いわば第二の目撃者の証言は、あるいは第三の証言はどうか。法廷において信頼に値するのだろうか。

噂というとなんとなくぼんやりした、アテにならない話のようにも聞こえるが、これはあらゆる局面において私たちの生活を大きく左右する。そして本当に恐ろしいのは、それは嘘か本当かわからないだけでなく、しばしば嘘か本当かを判断するような基準すら用意されていない。

日本においても軍事体制下で流言蜚語の取締りが行われていた。政府は流言と、それに伴う暴動や反乱を恐れたのである。注目したいのは彼らが嘘と本当を決定するだけの権力を持っていたことだ。例えばそこでは日本が敗戦しつつあるという流言は嘘になる。

文明の長い歴史を見た時、現代の多くの先進国のように言論の自由が認められていることは必ずしも当たり前のことではなかっただろう。ウェブが急速に発展し、誰もが「我こそは事件の第一の目撃者」として情報を発信できるようになった。かつてのように暴力的な手段で言論を奪われる心配もない。それによってウェブは信頼性の高い世界になっただろうか。現実は全くの逆である。

誰もが情報を発信し、誰もが情報を受信できるようになった。あまりにも情報が多いので私たちはそこから受信すべき情報を選択するが、その結果として自分の好きな情報にしかアクセスしないようになった。人はウェブにアクセスし、自分の考えを肯定するような情報を収集して、いかに自分が正しいか満足することができる。しかしそのすぐそばにある別の正しさにはまったく気付こうともしないのである。

冒頭に戻る。人はあるがままに見てあるがままに聞くことはできない。第一の目撃者の証言も実はそれほどにはアテにならない。人は自分が見たいように見て、聞きたいように聞くことしかできない。対立する人々のそれぞれに正義があるが、得てしてそこには明確な悪意すらない。誰もが本当のことを見て、考え、主張しているだけなのだ。ただし自分にとっての。

今ではこのような状態にイギリスではPost-truthといった洒落た呼び名が付いているらしい。元より噂というものは権力の所在の在り処によって、同じものを本当と言ってみたり嘘と呼んでみたりするというのが常であったが、集中的な権力を失い個々人が第一の目撃者として情報を発信する権限を保護された現代においては、いよいよもって何かにつけて嘘か本当かを判断する術がない。

アメリカの大統領顧問コンウェイなどはこうした状態をalternative factと呼んでみた。これはNBCテレビがトランプ大統領の就任式の聴衆は25万人程度しかいなかったと報道したのに対し、トランプ大統領は150万人はいたと主張した際の言葉である。こちらもなかなか洒落ている。「私たちの認識する事実において聴衆は150万人は存在していたが、あなたたちの事実においてはたったの25万人程度であり、私たちはそれを否定はしない・あるいはその術を持たない」ということらしい。今尚覇権を握るアメリカの最高権力機関がこのような発言をしたという意味で非常に象徴的な言葉である。

この世界はなにもかも、信頼に値しない。ただ一つ私が知る事実以外においては。

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