イツァーク・ギルボア『合理的選択』 - Fuwafuwa's memorandum

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イツァーク・ギルボア『合理的選択』

友人Xがふとした拍子に放った台詞が私はいつまでも忘れられない。「経済学は工学なんだよ」…彼にとっては放言だろうので彼がそう言ったということを私は誰にも言わない。私はその時はじめて経済学という得体の知れないものが私のフレームにはまったのである。けれどその時も今も私はそれをうまく言葉にして表すことができない。

「経済学は何をいっているのかわからない」と私が彼に言ったのは丸の内のスペインバルでワインを飲んでいた時だった。家に帰ると大変な長文のLINEで10冊ばかりの本を勧められた。私は半年かけてその全部を読むと返事をした。4ヶ月経過したが2冊くらいしか読めていない。まずい…。

イツァーク・ギルボアの『合理的選択』はその一冊だった。意思決定理論で著名な早熟の天才が、広く一般向けに合理的選択について書いたのが本書である。誰が読んでもすんなり分かるよう平易な言葉で、かつ経済学でお馴染みの概念について触れてあり、非常に苦慮して書かれたことがわかる。おそらくは私のような経済学を苦手とする人間に対してギルボアは謙虚に言葉を尽くす。

それでもなお私は「わかった」という感覚を得ることができないのである(!)。しかしギルボアが、経済学を苦手とする人間にとって、なにがネックになっていると考え、それに対してどのように説得しようとするのか、などに着目して読むと非常に面白い。

経済学で暗黙的に想定されているのは、常に自分の効用が最大になるように振る舞う人間、ホモエコノミカスーー省略してエコンなどと呼ばれるーーである。そこで問題になる合理性とは経済的効用に関わるものである。例えばエコンは「誕生日の直前に恋人に別れを告げる女性」を非合理的だと見なしたりする(「誕生日まで交際していればプレゼントをもらえたのに、何故?」)。しかしホモエコノミカスではない、多くのヒューマンにはその理由は明白だろう。無料より高いものはない(プレゼントを貰うと別れにくくなる)と知っているからである…。

このように経済的で想定されるホモエコノミカスとヒューマンは大きく異なるふるまいをする。面白いのは、にも関わらず経済学は規範の学問としての側面も持っていることだ。

勿論前述のような別れ話にはお呼びではない。別れを告げた女性に「誕生日の直前に別れるなんて君は非合理的だ。プレゼントが欲しくないのか?」と言ってみても、状況は悪くなることはあっても良くはなるまい(そんなことよりも、彼女は一刻も早く彼と別れたがっているのである!)。

しかしこれが、今まさに巨額の資金を動かそうと考えている資産家なら? あるいは銀行屋から税対策のために不動産を購入するべきだと強く勧められているサラリーマンなら? 経済学ほど頼れる相手はいないだろう。

人間はとにかく自分にとって気持ちの良いストーリーを信じたがる生き物である。ヒューマンの認知の歪み、自信過剰、視界から外れたものをすぐ忘れてしまう性質は、私たちによりよく生きる手助けをしてくれるが、他方で投資や資産運用といった場面では、極めて誤ったふるまいを導き大きな経済的損失を招きかねない。そのような時、経済学は私たちの経済的効用が最大になるよう、最適なふるまいを教えてくれる。

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イツァーク・ギルボア 松井 彰彦

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