Fuwafuwa's memorandum

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『百円の恋』

百円の恋 [DVD]


「私は100円の女だから」というセリフをこうまで格好良く決められるものなのか。

「人の命は何よりも尊い」と言うけれど、モノの値段というものが人の買いたいという気持ちで決まるなら、誰にも望まれない人間は100円程度の価値なのかもしれない。

32歳までニートとして自堕落な生活を送っていたイチコが離婚して実家に帰ってきた妹と喧嘩、家を出て100円均一で働き始める。ロクでもない人間としてロクでもない人間たちに囲まれロクでもない目に遭い、突然ボクシングに目覚めて歳がイキすぎているという理由で馬鹿にされながらもストイックにトレーニングに打ち込む。

安藤サクラ演じるイチコが大層よくて、ぼさぼさの汚い髪に着古した寝巻きで少し猫背気味にタバコを吸う姿は紛れもなく「おっさん」である。人にどう見られるかという意識が完全に欠如しているという意味で、である。

イチコは映画の「お約束」そっちのけで徹頭徹尾笑われ、軽んじられ、痛めつけられる。出来事自体は悲劇そのものだが、人間関係が希薄で美人でもないので誰かが助けてくれるわけでもない。悲劇のヒロインとは言い難い無様さだ。

よく「女は男と違って周りに助けてもらえる」などと言うが、とんでもない。ぼさぼさの髪に眠たい顔をして着古した大きすぎるTシャツ姿でのそのそ歩く32歳を、一体誰が助けてあげようというのか。

イチコが少々強くなったからといって何かが劇的に変化するわけでもない。プロのボクサーとして華々しいデヴューをするわけでもなければ自分をレイプした相手に復讐するわけでもなく、アッサリ男に捨てられその後王子様に見初められるわけでもない。トレーナーに褒められていたストレートも実践の場ではトント活躍しない。

にも関わらずイチコが作中で一貫してどうしようもなくカッコイイのはなぜか。イチコはどんなに酷い目にあっても絶対に他人のせいにしないし、助けを求めたりもしない。自分で考え、自分で行動し、自分でその結果を引き受ける。それがどんなに無様だったとしてもだ。

自分の人生に値段がつけられるとしたらそれは一体いくらだろうか。100万円の女なら多少格好も付くかもしれないが、100円の女はいかにも惨めな感じがする。しかし他人がつける値段に関わらず私たちは生きていかなければならないと考えた時、それが100円だろうと100万円だろうとそこに差はない。生命としての強さと美しさは、どんなに無様だと笑われようがみっともなく闘い続けることの中にこそあるのである。

クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ:技術革新が巨大企業を滅ぼす時』

イノベーションのジレンマ (―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press))


2015年6月に英国トップブランドであるバーバリーとの専属ライセンス契約打ち切り後、売上高が激減した三陽商会は広告宣伝費・物流依託費削減・大規模なリストラにより純利益を確保しようとしましたが、2018年12月の赤字見通しを受け、自社ビル譲渡および三度目の大規模リストラに踏み切る形となりました。

連続赤字もさることながら数年に渡る厳しいコストカットは、人材やノウハウ、数十年培った社内文化を明日のために切り売りする行為でもあります。三陽商会と言えば50年以上の歴史を持つアパレル業界における名門中の名門ですが、その三陽商会がバーバリーの喪失により、何故ここまで打撃を受け、3年が経過した今もバーバリーを超える収益を見つけられないのでしょうか。

そのように考えた時、三陽商会がただ手をこまねいているわけではなく幾重ものジレンマによって苦しめられていることがわかります。ここではクレイトン・クリステンセンにちなんでそれを「イノベーションのジレンマ」と呼びましょう。なぜこの歴史があり、巨大で、生真面目な企業が苦しめられなければならないのか。

三陽商会は50年代頃からアパレル企業として、高度経済成長の最中にあった百貨店に出店することで成長しきました。70年代頃からは様々なメーカーとのライセンス生産を行なっており、その一つがバーバリーでした。三陽商会は高い技術と品質を保証し、バーバリーの名でヒット商品を展開してきました。高い品質の商品を百貨店に卸す一方で、三陽商会は知名度の高い自社ブランドの確立には至りませんでした。

それは三陽商会が怠け者だったからではありません。ここに一つ目のジレンマがあります。三陽商会がバーバリーとの専属契約企業として、百貨店への出店企業として、生真面目にバーバリーや百貨店としてのブランドに相応しい商品を追求すればするほど、それより遥かに小さなブランドーーどんなブランドでも最初は小さいものと決まっているーーの生産や販路拡大は劣後されてしまうのです。

バーバリー喪失後、売り上げが激減した三陽商会は、高い品質の自社ブランドを定価をその品質より下げることを余儀なくされましたが、売上回復はなおも難しい状態です。ここに二つ目のジレンマがあります。三陽商会は新規参入してくる下位ブランドと自社を差別化させるために商品の品質を向上させてきましたが、その高い品質は消費者の要求を遥かに上回っており、言わば供給過多の状態にあります。

昨今の百貨店の凋落を受け、三陽商会はインターネットショップへの販路拡大に舵を切りました。グローバルに見てもアパレル企業はインターネットで覇者が決定しておらず、投資先として外れてはいないはずです。ですがここには三つ目と四つ目、そして五つ目のジレンマが存在しています。

三つ目は、未発達な市場のため、ユーザーが誰で、何を望んでいて、最終的にどの程度の市場になるのか誰にも分からないこと。四つ目は、まだ小さいその市場では、巨大になりすぎた自社を最早支えていられないということです。最後の五つ目のジレンマは何か?株主です。百貨店でハイブランドを展開してきた三陽商会が、インターネットで万人ウケする汎用的な商品を売買することは、かつての三陽商会を支えてきた株主を少なからず裏切ることになるでしょう。

多くの場合、巨大化した企業には自社を支える持続的事業が存在しています。企業はその持続的事業を更に拡大するために、すでに存在している市場に対して商品を改良し、品質を向上させます。既に存在する価値観に抵抗し、品質のより低い商品(ブランド)を創造することは、すでに存在するものの品質を向上させることよりも難しいとクリステンセンは述べます。

何故なら企業は、マネージャーから末端のスタッフに至るまで、今ある商品の品質を向上させることの方にインセンティブが働いているため、それに逆らってまったく新しいものが出てくることはほとんどないからです。と言うことであれば、これは個々人の能力の問題ではなく組織の在り方の問題ということになり、私たちが追求すべきは賢い人ではなく賢い組織ということになります。

企業の母体を支える持続的事業に対して、そうした事業のあり方そのものを塗り替えてしまう破壊的事業ーーイノベーションを創出するための賢い組織の在り方とは、破壊的事業を行う組織を分離してしまうことだとクリステンセンは述べます。小さな資本で維持でき、小さな売り上げが株式市場における破壊的事業のアピールになり、小さな売り上げを追うことが組織の人々におけるインセンティブになるような。

それは持続的事業においては取るに足らない規模であり、採算がつかずに赤字が続いている企業も世の中にはたくさん存在しています。なのに何故多くの巨大企業は一見赤字のもとである破壊的事業に毎年巨大な額を投じるのか?そうしなければいずれ持続的事業そのものがジレンマによって食いつぶされ、企業が滅ぼされてしまうとわかっているからです。

小黒 一正 『薬価の経済学』

薬価の経済学


これは日本経済新聞出版社だけど、大学出版会っぽい本だった。

医療っぽい独特のクセのある文体(読み辛い)と経済学っぽい独特のクセのある文体(読み辛い)が融合してなんとも言えない読み辛さを感じる本だった。ちょくちょく挿入される謎の数式に「(それは今必要なのか…?)」とも思ったけど経済学の人は数式好きですよね…。コンテクストとの依存関係が強すぎるので私は実装する時以外は必要性を感じないんですが。その他計量経済学っぽいアプローチを取っていたりもしてなかなかユニークで面白い本だった。

薬剤というかなりクローズドな領域でミクロに見たりマクロに見たり経済学的に考察した一冊。案外市場における特定の領域にフィーチャーすることって経済学では珍しいのではないかと思って読んだ。所々コラムが挿入されており薬剤の内輪情報が書いてありgood。

一つの薬剤を作るために少なくとも10億は必要と言われる製薬業界で、研究開発のためのインセンティブを与えようと思うなら開発に成功した企業に特権を与えなければいけない。また20年の特権期間が過ぎた後には後発品となるジェネリック医薬品が解禁となるが、医療費を削減したい政府はもちろんこのジェネリック医薬品を優先的に流通させなければならない。

従って政府は製薬業界に特許権というインセンティブを与えつつ、医師や薬剤師にはジェネリック医薬品を処方した際の加点によりインセンティブを与える。2017年にジェネリックの構成比は66%に達するが、2020年までにこれを80%以上に引き上げるのが目標らしい。おそらくこれは実現される。

また同種類の薬剤において競合がほとんどいないこと、薬価改定を恐れて新薬がどれだけ好調かも明かしたがらない点も特徴的な点であると思う。バイオにおける日本企業の劣後に対処するために2010年からは新薬創出加算が試験的に施行されているが適用されている多くの企業は巨大外資であり苦戦しているようだ。

巨大製薬会社では研究・開発・製造・販売をほぼアウトソーシングし、バイオベンチャーに金をばら撒いて開発に成功した企業だけを残すというが、まあ企業の経営の観点からいえばそれが一番理にかなっているし、当然のようにそうするだろうなと。

ジョナサン・マクミラン『ジ・エンド・オブ・バンキング:銀行の終わりと金融の未来』

ジ・エンド・オブ・バンキング 銀行の終わりと金融の未来


大体5冊くらい並行して本を読んでいるのだけどしばらく読書メモをサボっていたらどこで何を読んだのかがわからなくなってきたので今更のようにメモ。とは言っても250ページ程度の薄い本の割に笑っちゃうくらい何書いてるのか全然分からなかったので読んだ人がいたら解説して欲しい。

本書ではバンキングの定義をマネーの信用創造におき、デジタル化時代の金融においてバンキングはもはや不要であると説く。ここではデジタル化時代という言葉が先行するが、肝要なのはデジタル化による超効率化であって、本書でのキーワードとなるシャドーバンキングは超効率化により貸し手と借り手の情報が皮肉にも非対称となってしまった事に問題がある(と言っているように読める)。

因みにここでシャドーバンキングと呼ばれているものは複雑すぎて説明が簡略化されているが、本書では大体次のように書いている(ように読める)。

銀行では融資する額が足りなくなった時に現在の融資額を資産の部に移行し、その大部分を資産担保証券(ABS)化する。ABSは格付け機関により価値を評定してもらい、足りない融資額は市場金利連動型ミューチュアルファンド(MMMF)にレポとして取引し、MMMFは投資をする代わりにリスクヘッジするため、これが結局は市場に出回るマネーの額を低く抑えている。

大体これを100倍くらい複雑にしたものがシャドーバンキングである(と書いているような気がする)。日本でこの辺の事情がどうなっているのかはよく知らないけども、1.融資の証券化によるバランスシートの改編 2.投資者にとって不透明性の高い証券 3.リスクヘッジによる最終的なマネーの流動の低下、等々は概ねに通っているのではないかと思われる。普遍的な議論にするためにこの辺を著者は敢えて抽象的に書いているのではないかと思う。

そもそもデジタル化の社会において最早不透明性の高い証券や企業の格付け機関を介した取引は合理性を著しく欠いたシステムあって、投資は投資家が直接借り手に貸せばよい。バンキングによるマネーの創造が複雑化したことこそが金融危機をもたらしたという主張が本書の骨子である(多分そう)。

ナイアル・キシテイニー『若い読者のための経済学史』

若い読者のための経済学史 (Yale University Press Little Histories)



一章がコンパクトで読みやすく、かつ経済学の重要な概念が嫌味なく展開されており非常にgood。著者が大学教授でも実務家でもなくジャーナリストというとこもまたミソで、読めば分かるが議論の展開の仕方が非常に洗練されており、人に理解させるための文章を書くプロであることが一目で分かる。経済学の概念を人物に紐付け背景が語られる、このセンスたるや。

物事の本質というものは時々すでに過ぎ去った出来事の中に隠れている。本質であったことも忘れられ、それを育んだ怒りや悲しみをなかったことにすることと引き換えに私たちは権威の前にひれ伏す安心を知るのである。それを学問と呼ぶ人もいるが、私にとっては人間の考えることなど総じてもっと生々しい事柄であってしかるべきなのだ。